社会

【実録】昔「適応障害」になった話【ツライ】

皆様おはようございます、こんにちは、こんばんは!

電車に乗るときは三戦(サンチン)立ち、とある人間です。(呼ッ

本日は体験談を一つ用意しました。

それは「かつて適応障害になった話」です。

この記事でわかること
  • 適応障害とは?
  • 筆者のなった原因
  • 治療で何をしたか
  • 筆者の現在

まあ今はめっちゃ元気なんですが、当時はなかなか厳しい状態でした。

今まさに適応障害に苦しんでる方には一つのケースとして、適応障害そのものを知らない方には、新たな知識として参考にして頂ければと思います。

それではよろしくお願いいたします。

適応障害とは?

流石に、医療情報で意図せずともホラを吹く訳にはいかないので、厚生労働省のサイトから引用させていただきます。

定義

日常生活の中で、何かのストレスが原因となって心身のバランスが崩れて社会生活に支障が生じたもの。原因が明確でそれに対して過剰な反応が起こった状態をいう。

日常生活の中で起こった出来事や環境に対してうまく対処できず、心身に様々な症状が現れて社会生活に支障をきたす状態をいいます。ストレスの原因が明確であることが定義上重要となります。

症状

症状はゆううつな気分、不安感、頭痛、不眠など、人によって様々ですが、仕事や学業などを続けたり、対人関係や社会生活を続けることに問題のある状態となります。これらは一般的には正常な人にも現れる症状ですが、適応障害の場合はそれを超えた過敏な状態となります。

治療

治療にはまず原因となっているストレスを軽減し、心理的に回復させることが必要です。また、場合によっては薬物療法が必要なこともあります。

出典:厚生労働省e-ヘルスネット

他にも様々な健康に関する情報も載っていますので興味のある方は下記のバナーから是非…↓

これが適応障害の基本情報です。

これを踏まえたうえで次の節から私の体験ベースの話をしていきたいと思います。

適応障害になるまでの経緯と原因

私は大学卒業までは実家暮らしで、就職を機に一人暮らしを始めました。

途中までは順調に生活していたのですが、その年の冬に突然、朝に布団から出られなくなってしまったんですね。

振り返ってみて、思い当たる原因は大きく2つありました。

順に見ていきましょう。

①孤独気味だった

友達がいなかった訳ではないのですが、仕事の関係上休みがカレンダー通りでなかったため、人との交流が極端に減っていたんですね。

また、仲の良かった同期が私よりも先に辞めていたため、それも孤独に拍車をかけていました。

②太陽の光を浴びていなかった

個人的にこれが一番の原因だったのではないかと思っています。

というのも、もちろんわざと太陽の光を避けていた訳ではありません。

当時社宅に住んでいたのですが、工事の関係で雨戸を閉めなければならなかったのです。

そして基本的にインドア派だった私が外に出るのは、日の沈む頃に晩飯を買いに出るくらいで、家にいるときはほとんど太陽の光を浴びていませんでした。

そうして冬に身体に異変が起こり、心療内科に行ったところ見事に適応障害の診断が下りました。

ここで一旦分かりやすいように時系列でまとめてみます。

適応障害になるまでの時系列
  1. 就職を機に一人暮らしを始める
  2. 秋までは順調に過ごす(休みは暦通りではない)
  3. この頃、仲が良かった同期が辞める
  4. 社宅の工事が始まり、雨戸を閉め切る生活に
  5. 冬になり、突然朝に布団から出られなくなる
  6. 適応障害の診断が下り、休職→退職

ご覧の通り、秋から状況が徐々に悪い方に向かっていたのがわかるかと思います。

筆者の症状

では実際にどんな症状が出ていたのか見ていきましょう。

結論以下のものとなります。

筆者に出た症状
  1. 朝布団から出れず仕事に向かえない
  2. 不眠&過眠
  3. 食欲低下
  4. 元気の最大値が下がった

①朝布団から出れず仕事に向かえない

その日はいつものように朝、仕事に向かうため風呂に入ろうとしていました。

しかし、何故か布団から全く出ることが出来ませんでした。

意思に対して身体がついていかないとでも申しましょうか、布団から出るという、ただそれだけの行動が取れませんでした。

困ったのは、これが「会社に行くときだけ」強く症状が出ていたことです。

会社員の方は誰しも朝起きたとき、「仕事行きたくねェ~~~」と思ったことがあるはずです。

それでも面倒くさがりながらも起きて活動する訳ですが、この症状はそこの「精神と肉体の繋がり(パス)が途切れてる」イメージです。

だからどれだけ起きようしても身体が言うことを聞かないのです。

②不眠&過眠

①の症状が出始めてから、不眠と過眠の症状が出るようになりました。

これ、なかなかしんどくてですね…。端的に申し上げると

全然寝付けないくせに、寝始めたら15時間くらい寝てしまう

元々私は寝つきが良い方で、7~8時間睡眠を心掛けていたのですが、適応障害が始まったらコレですよ。

リアルに寝付くのに2時間くらいかかって寝たら15時間過ぎてって、これで1日の3分の2が終わっちゃってますからね。

➂食欲低下

それまで3食だったのが適応障害を機に1食になってしまいました。

その1食ですら「まあ食わんでいいか…」と思ってましたが、「流石に食わないと死ぬよなぁ…」と思って無理矢理食べてました。

症状②で1日のうち17時間失っているので、そりゃあ1食になるよなと振り返って見て思います。

お手本のような悪循環ですね。

➃元気の最大値が下がった

どういうこと?と思われるかもしれませんがまじでこれだったんですよね。

最大値が今まで100だったものが80になってしまった、そんな感じです。

Fateシリーズで例えたら対人宝具の「必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)」を喰らったみたいなもんです。

この宝具の効果は「この槍で傷をつけた分だけHPの上限を削る」、つまり「その傷を負った状態が完治状態になる」です。

このような感じで元気の最大値そのものが減ってしまいました。

筆者がした治療

さて、これらの症状が出ていた私ですがどのような治療をしたのでしょうか。

結論以下の通りです。

  • 薬物療法
  • 放牧(実家に帰省)
  • なるべく朝日を浴びる
  • 軽い運動

薬物療法

お医者様からは、睡眠薬と漢方薬、さらに当時の血液検査で葉酸が不足していたことがわかったので、それを補充する薬が処方されました。

時期によって量を調節しながら、大体10ヶ月くらいは継続して飲んだでしょうか。

当時の感想としては、特に睡眠薬についてフットボールアワー後藤風に言うと「こんなに効くんねや」でした。

おかげで寝つきの悪さはすぐに改善しました。

放牧(実家に帰省)

ここでいう放牧は競馬用語の方で、「競走馬を休養のためトレセンから牧場に戻すこと」です。

つまり実家に帰省しました。

一人暮らしの環境が原因であると考えられていたので、その原因を排除するためには実家に戻るのが一番手っ取り早かった訳ですね。

なるべく日光を浴びる

お医者様とのやり取りの中で当然、日光を浴びる時間が極端に減っていたことは伝えていました。

もちろんお医者様からは「それは浴びなきゃイカンぜよ」と言われていたので、実家にいることも活かして、家族に叩き起こしてもらいながらなるべく朝日を浴びていました。

軽い運動

これは自分から勝手にやりだしたことですが、無理矢理外に出る時間を作った方がいいと思い、軽い運動としてウォーキングやジョギングをしました。

肉体的に疲労すれば、寝つきもよくなるんじゃね?という狙いもありました。

筆者の現在

結論完治してます。

今では普通に仕事も出来ていますし、サウナにも行くようになったので、よっぽどのことがなければ再発することはないと思っています。(サウナへの熱い信頼感)

しかしながら、完治までは10ヶ月くらいの期間を要しているので、やはり心の病気は治るのに時間がとてもかかるんだな…と実感しました。

まとめ

今回は体験談として私が適応障害になった話をしました。

経緯と原因は以下の通りです。

  • 就職を機に一人暮らしを始めたが冬に適応障害になった
  • 秋ごろに同期が辞めたり、社宅の工事の関係で日光を浴びなくなる
  • 突然布団から出れなくなる

症状と治療については以下の通りです。

症状
  • 朝布団から出れず仕事に向かえない
  • 不眠&過眠
  • 食欲低下
  • 元気の最大値が下がった
治療
  • 薬物療法
  • 放牧(実家に帰省)
  • なるべく朝日を浴びる
  • 軽い運動

適応障害は条件さえ整ってしまえば誰でもかかりうる病気です。

資産形成的な意味においても、自分という人的資本がしばらく機能しなくなるので大きな支障が出てしまいます

大事なことは日々の自己メンテナンスと、異変を感じたらすぐに対処することです。

「自分には関係ないや」とは思わずに、自身の身体と向き合ってみてください。

それでは今回はこのあたりで。

また次の記事でお会いいたしましょう。

グッドラック👍